2007年5月3日・・・

13. いじめ はない


● 子どもたちの自治組織

「いじめ」だけが問題なのではありません。命にかかわる深刻な暴力こそ問題です。私の友人の教師(今は小学校の副校長)と数年前、私が「荒れた中学や高校の先生は身の危険を感じることもあるでしょう」と言うと、彼は「小学校だって、教師は命がけだ」と自分の手首の傷を見せました。高学年の男子に、文房具用?カッターナイフで手首を切られたそうです。小学校でさえ、そんな事件が起きている事にショックを受けました。過去に、男子中学生が英語の女性教諭をナイフで刺し殺した事件もありました。あげれば切りがない。

「いじめ」も1種類ではない。暴力的「いじめ」で同級生を死に至らしめることもあれば、「暴力はいけない」と親からも言われているせいか、「物をかくす」という陰湿な「いじめ」もある。 言葉による「いじめ」もある。言語道断なのは、言葉による「いじめ」を助長するような教師までいることです。 4月11日の読売新聞には、「韓国政府は4月から、…いじめ被害…生徒を警官が警護する『身辺保護サービス』に乗り出した。(また)学校に元警察官を常駐させる『学校の守護者制度』も導入し」とありました。学校が警察の助けを借りる時代とは、残念ながら、教育の敗北ということでしょう。

少し話は変わりますが、2005年11月から2006年冬にかけて、広島大学の山崎博敏教授が4道県の小5と中2、3384人の児童生徒を対象に、学力に対する、1学校規模、2授業方法、3家庭環境についての分析で、「学力は、1,2,3すべてが関係している」と結論しているように、当然とはいえ、学力さえ学校以外の影響、家庭環境が影響しているのです。いわんや、児童・生徒の「いじめ」や「暴力」の原因が「学校だけ」にあるわけはない。 家庭環境や社会の影響も加わった複合原因に違いない。 ゆえに根の深い難しい問題です。こんな難問を「未来の学校」は、どうやって解決していったのでしょう?

当然ながら、一筋縄ではいかなかった。多数のパラメータからなる複合問題ですから。 しかし、その「根本の治療法」は、はっきりしていました。  それは迂遠なように見えても、一人ひとりの人間を根本から変えていくしかないのです。 それこそが教育本来の目的でもあり、使命でしょう。  これ以外はすべて「対策」であって、「対症療法」です。もちろん対症療法が良くないと言っているのでは決してありません。むしろ対症療法は即座に目に見える効果をもたらすもの。 「根本の治療法」と一緒に、上手に併用していったのです。

「いじめ」が無くなった主要原因は3つでした。
<原因1: 全教員が一丸となる
学校長以下、全教員が一丸となって、「いじめは、いけない」。「悪いこと」との断固たる意思を示し続けた。 よく目につく場所に、スローガンとして大きく貼ったり、先生方が、定期的に「いじめは、いけない」と、皆の前で明確に声に 出し話した。

「いじめ」の兆候を発見した時には、「真剣勝負で(涙を浮かべて)子どもたちの心に訴えかけた」。その本当の真心、愛情、使命感があったからです。 「人間として大切なこと」は、 まず、教師自身が、同じ人間として、児童生徒に先んじて実践しようとの誠意と決意があったからです。それが「根本の治療法1」であった。 そして常にアンテナを張り続けていたから。

<原因2: 生徒の心に 「人間として大切なこと」をしみ込ませた
カリキュラム基底部「人間として大切なこと」を重視して小1から一貫して、徹底してきたからです。いじめや暴力は「悪いこと」、自分の命も「よごす」こと。この理解の深化にとって、児童生徒がぶつかり合う学校生活は、理想的訓練の場ととらえ、それをチャンスとして利用してきたからです。

さらに、いじめを「見ても、見ないふり」をして、傍観することは、結局いじめに「加担している」ことだ。と「理詰めで納得させた」ことも大切な原因であった。また、具体的にその際の「言葉や行動」も指導した。目撃者は、(そんなことをしていると)「あそこ(校内裁判所)に行く事になるよ」とか、見た者は全員が「あそこ」に、「通報の義務」があると指導したからです。これが「根本の治療法2」

<原因3: 子どもたちの自治組織
子どもたちを中心に教師も加わった自治組織が、トラブルを裁定するからです。私たち、大人の社会は「立法・司法・行政・私たち」で動いている。一方、子どもたちの生活の場でもある学校は、社会に出る前の訓練機関でもあるわけですから、子どもたちの社会にも「立法・司法・行政・子どもたち」があってもよい。というより、あった方が望ましい。 この自治組織は、イジメの調査、調停だけではなく、学校でのもろもろのルール(校則)づくりもする。学校運営全般を取り仕切る。教師の授業力への評価、教師の評価もする・・・。

――――――これは、自学自習などと違い、私自身が体験したことではありません。では、なぜ体験してもいないものを 書いているかというと、アメリカ マサチューセッツ州にある私立校サドベリー・バレーの創立者ダニエル・グリーンバーグ氏の 著作「Free at Last」(日本では「超学校」というタイトルで出版されている)が、私の脳裏から常に離れないからです。

教え学ぶ、最良の方法は何か? 今の学校習慣の根拠は? 学校はいかに運営されるべきか?
この本を読むたびに私は深く考えさせられます。同校の民主的な学校運営には、憧れと尊敬の念さえ抱きます。 しかし日本と米国では、歴史が違う。人々の社会意識が違う。 残念ながら日本では難しいのかもしれない。 いずれにしても、同校は現在まで、39年も存続していて、世界中から見学者が絶えない。 世界中に姉妹校ができているという。数年前、NHKスペシャルでも取り上げられ、放映された。

何より、注目すべきは、ここには「いじめ」はないという。 「いじめ」はないが、ケンカは、たくさんある。日常茶飯事だそうです。しかしそれは生徒の自治組織、 「司法」が見事に裁いていくのだという。 創立者は そのことを誇りに思っている。

「いじめ」問題に戻ります。 学校での「ルール」は、その学校の生徒が守るべきものですから、生徒が納得していなければいけません。 それには生徒がそのルールを作るのが一番です。そして、そのルールを犯したときの「罰則」もまた、 生徒が作るのが一番いい。なぜなら自分がその罰則を被るかもしれないからです。 「いじめは、やってはならない」という ルールを犯してしまったときの罰則も同様に、生徒が作る。 そして原告、被告、証人、教師、保護者が、あそこ(校内裁判所)で、裁判のルールに基づき、事実を確認し、 原因を調べ、互いの不審を問いただし、話し合いの上、裁判長が裁定をくだす。裁判長、検察、弁護人、陪審員は、 生徒から選ばれ、ある期間の任期で交代する。事件のすべてを厳格に、厳密に調査をする。ここが大切。証拠を重視する。

最近、私は若いお父さんから、こんな話しを聞きました。登校途中でランドセルを後ろから足で蹴飛ばす「いじめ」。これを先生がその加害者の子どもの母親に言うと、「うちの子がそんなことをするはずがない」の一言で水泡に帰するそうです。カメラで蹴飛ばしている瞬間を撮るぐらいの執念が必要なのです。聞き取り調査、証拠集め、まるで、本当の警察のように、選ばれた生徒はやる。大人の社会と同じように、うそを覆すには、客観的な証拠が欠かせません。教室内での「いじめ」を客観的に見つめて記録する防犯カメラ(名前が良くないから「真実」カメラはどうでしょう)を教室につけたらどうでしょう。

●最後に

4月16日、米国バージニア工科大で32人が犠牲となる銃乱射事件が起こりました。人は、生きる規範があり、打ち込むものがあり、周りから無視されず、互いが互いを大切にしているなら、暴力などに走らないでしょう。 「未来の学校」は、そういう「非暴力の社会」実現の確かな力であるとともに、未来の「理想社会」建設の確かな力でもあるのです。

●人間として大切なこと

1つ、自分の命を大切にしよう。   (自己の生命の尊厳と幸福)
2つ、人の命も大切にしよう。   (他者の生命の尊厳と幸福)

3つ、親に感謝・恩返し。   (生を見つめ、人間の尊厳と幸福を考える)
4つ、お年寄りを大事にしよう。   (老を見つめ、人間の尊厳と幸福を考える)
5つ、「助け・助けられ」はお互いさま。   (病を見つめ、人間の尊厳と幸福を考える)
6つ、命は3万日ない。毎日を大切に。   (死を見つめ、人間の尊厳と幸福を考える)

7つ、人は「助け・助けられ」て生きるもの、 深い幸せはその中にある。   (私の幸福と社会)
8つ、仕事に励もう。人のためにも動こう。   (私の善と社会)
9つ、悪事はするな! 人を殺すな!   (私の悪と社会)

10、人間は人間だけでは生きられない。 動物、植物、地球、太陽に感謝しよう。(人と環境)