2007年5月3日・・・

11. バランス


この「半日学習・半日実習」あるいは「半日労働・半日学習」のように、一日のうちに、並行して行うことの、 もう一つの意義は、人間の素朴な感覚を重視し、大切にしているからです。

人間は、大人でも子どもでも、朝から夕方までずっと「机に向かって」は、1日でも苦痛のはずです。 いわんや何年も続いたら、何をかいわんやです。「午前中」読書をして、「午後」は散歩、買い物をする。
あるいは反対に、午前中、戸外で動き回れば、「午後」の読書は、疲労の回復にもなり、集中できる。 という経験は誰にでもあるのではないでしょうか。人間には、学習でも、運動でも、長時間どちらか1つは良くない。 両者の「バランス」が心身の健康にとって大切だということ。この意味からの「半日労働・半日学習」でもあるのです。 つまり心身両全の生活を勧めているのです。

また少し違う観点から、「自学自習」を補足すると、 「自学自習の再発見」に「大人は、他人の講釈を聞きたくないもの。子どもだって同じです。皆、我慢して、 5,6時間目まで、イスに座っているのです。子どもに、もっと、もっと作業の時間を与えましょう」とあります。

他人の話を集中して聞いていられる時間はどのくらいでしょう?  長くはないでしょう。 しかし、人間は、自分が、好きなもの、自分の体や頭を使って何かを主体的に追求しているときは 「時が経つのも忘れる」くらいの集中力・持続力があります。

子どもに「何らかの知識やスキル」を得させるには、「動機としっかりした学習環境」があれば、他人が講釈するよりも、 自由に自分で拾わせた方が、持続力がある。楽しくもなる。優れた学習環境なら、能率まで上がってくる。

「教師からの指導」や「一斉指導」は、子どもたちが「知りたい」。あるいは自分たちだけではうまくいかないと 「ギブアップ」したとき、最大の効果を発揮する。乾いた砂に水がしみ込むように子どもたちに吸収される。 感謝、喜び、安心感、楽しさも生まれる。

このように「学びと教え」が、理想的な関係になるためには、 最初に、子どもたちの動機に基づく「自学自習」があるべきです。年齢と状況により、バラつきはあるでしょうが、 基本的には、最初に子どもたちに「歩ませる」べきだったのです。
残念ながら、昔の学校は、「教え」に偏っていた。というより、動機に基づく「本格的な自学自習」がなかった。 それ故、普通の子どものみならず、特に標準から少々ずれた児童・生徒は学校になじめず、不幸な問題がおきていた。 次は、黒柳徹子著「窓ぎわのトットちゃん」(p41より引用)。

教室で先生の話をじっと聞けず、好き勝手に動いてしまう小学1年生のトットちゃん。学校から迷惑がられ、 退学同然でトモエ学園の1年生になる。そこは「自分の好きな科目からやっていい」という自習中心の学校だった。 トットちゃんはやっと安心して通える学校に巡り合う。黒柳徹子さん、今でも母校への熱き感謝の思いは尽きないようです。 「これは本当の勉強だった。だから、先生の話や説明を、ボンヤリ聞く、といった事は、ないにひとしかった」 と。

これらは学習者の「能動と受動」のバランスです。「受動」だけでは忍耐と苦痛の場になってしまう。 12年間も続くのですからなおさらです。 「小中学校校長殿」に、 「これら『静』と『動』が バランスよく存在する学校・・・『一斉指導』と『自学自習』の絶妙なバランス」が大切だとあります。これも 同じです。

しっかりした学習環境を作った上で、自立をうながし、自学自習させる。「将来何になりたいのか」。 児童・生徒・学生が主役、中心者であるべきです。 子ども同士の教え合いも含めて、適切な自由を与え進ませる。 教師はそれをじっと見守る。そして必要と思われるとき、必要なアドバイスを与える。
昔の学校も、児童・生徒が主役と認識はしていたが、 学校システム3要素が 必ずしも、そうなっていなかった。 未来の学校は、児童・生徒・学生が主役になれるよう学校システム3要素が工夫されている。

このように「未来の学校」では、「一斉指導」にかたよらず、「自学自習」を大切にし、多彩に活用する。 そして、次に述べるように、このバランスの上で、「自立・能動」を重視する。なぜなら教育は「人づくり」だからです。 「助け・助けられる」という心を抱いた上での自立した人格。この育成が大切だからです。 一人立てる強さ、勇気、忍耐がなければ、「自立・能動」は貫けない。社会を発展させる上で、この人間的強さは 重視すべきです。強さ、智慧、人類愛は、教育目標とすべき人間の徳目です。