2006年12月14日・・・


自学自習の再発見


「自学自習」という言葉は、大正時代には、既に使われている。 ゆえに、かなり昔から存在している。この古くからある自学自習。学ぶ場である学校 は、もっと、もっと取り入れて、研究し、深化させて、 多彩に活用しましょう。 というのが、「みらい21」の主張。なぜなら、輝かしい未来の学校は、「真の自学自習」抜きでは、成り立たないからです。自習など、今もやっている。何を今さら、などと言うなかれ。「真の自学自習」は、人間づくりに直結している。 学校での「自学自習」は、人間が自立し、決断し、行為の責任は自分がとるという訓練になり、人間本来の性質に 由来する満足感も味わえるのです。さらに今の学校が抱えている「諸々の難問」解決の糸口が見つかるのです。 (その一例として、黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」にはトモエ学園での「自学自習」がある)

単なる、知識の伝達なら、一斉授業で事足りる。しかし、学習スキルは自分で獲得するしかない。 他人がスキルを与えることはできない。算数のスキル や 漢字の書き取りに限らない。 水泳、車の運転、自転車に乗れること、みなそうです。教師や友人ができるのは、こうやるんだと「見せること」、「説明すること」、「コツの伝授」、「励ますこと」まで。スキルそのものは「本人が自分の体を使って練習しなければ、決して身につかない」。 つまり自学自習しかないのだ。

そして、この自学自習というのは、一番学習効率がいい。数年前、新聞で医学部の国家試験合格に自学自習が取り入れられた と報道された。予備校でも、自学自習を取り入れている。 高校や中学で、受験生が隠れて内職をする。これも自学自習。小学生が好きな本を熱心に読みふける。これも自学自習。

「学習効率がいい」とは、換言すると 学習時間短縮効果 がある ということ。劇的な効果がある。 現在の小・中・高校の授業は6時限かかっているが、 「自学自習」と大胆な「学習内容精選」を経た 「未来の学校」は、4時限で終わる。

午後は、人間にとり大切なことに使える。学べる。 命の大切さ、命あるものを愛せるよう誘導する時間。お年寄りや幼児へのボランティア見習い。 社会に出ても役立つことを学べる。自分の人生は自分の責任。将来サッカー選手、野球選手、音楽、ダンスをやりたい児童・生徒は、 それぞれ、それに打ち込む時間。 ケーキ作り職人、大工さん志望は、その専門家と接触できる。

そして何より、自学自習は、子どものストレスを軽減できる。苦痛を軽減できる!  それどころか楽しくなるのです。教師まで。  大人は、他人の講釈は、聞きたくないもの。 子どもだって同じです。皆、我慢して、6時間目まで、イスに座っているのです。12年間も!  子どもに、もっともっと作業の時間を与えましょう。作業とは結局、自学自習です。自学自習的グループ学習です。それができる環境作りをしたら、「あとは、自分でやりなさい。 自分たちで考えなさい」と言うのです。

算数・数学の話。通常の「ドリル」を与えての自学自習では、今までと同じ。進歩はない。それでは落ちこぼれが出てしまうし、優秀児も伸ばせない。皆が平等に進歩できる本格的 「自学自習システム」を構築しませんか? みらい21は そのお手伝いをします。 本格的自学自習 システムとは、未熟な児童・生徒でも学習の中心者になれる工夫がこらされているシステム。教師は、側面からの支援者、産婆役、監督。(詳しくは、後述 「未来の学校」 「落ちこぼれ」はない

おとな・教師・親の責任は、また権利は、その環境作り なのです。 そんな学校はまだどこにもない。しかし十分実現可能なはず。その環境作りをみんなで考えるべきです。 児童・生徒も教えてもらうから 自ら学ぶに重心を少し移すべきです。これは方法論であってしかも大切な本質です。各教科に合わせ、年齢に応じ、多彩な方法論があるはず。

これは決して雲をつかむような話ではない。たとえば、算数・数学での公文が一つのヒントになる。 日本中、公文教室の無いところはあまりないくらい普及している。しかも学習者は、もう日本の子供数より海外の子供数の方がはるかに多い。文化・国境を超えて、学習法に普遍性があるのではないか。日本のみならず、十分、自学自習は可能なのだ。

この公文の道以外にも、「自学自習」の道はいくらでもあるはず。その中の1つ、コンピューターを利用する道もある。紙メディアとコンピュータでは、それぞれ複数の長所・短所がある。 みらい21が提案する「学習スタイル」は両者を使う。 そういう算数・数学コースウェア教材が、準備されている。放課後でもいいし、授業中でもよい、試してみませんか? 放課後なら、監督者が必要。学生でも可能。 いかがでしょう ?